無為のエクリチュール

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アカツキ・ディーレン、引っ張っておいてそれだけですか!と思いながら、、、

最近、MTのプラグインであるFeeds.appで実現しているページを見なくなった。というのも、bloglinesをまた優先的に使うようになったからである・・・。なるべく、自分のところだけで色々やりたいという志向と、色々なものを使ってそれらをうまく組み合わせたいという志向の両方が f(x)=sinθ のカーブのようにやってくる。一度はMTで作ったフォト・アルバムも、Flickrに取って代わられたように、すべてのことには終わりがやってくる!

敬体いわゆる「です」「ます」調で統一するようにしてきたのに、常体で書いてしまっている。すべてのことには終わりがやってくるように、敬体にも終わりがやってくる!敬語は新たな分類法を得て(美化語、謙譲語IIの創設)、ますます大事にされてるかのようである。しかし、ボクは、丁寧語以外の敬語なるものを疑っている!存在意義を問いたい。存在理由は言語である以上歴史的な経緯にあると片付けてしまってかまわないが、存在意義が現在においてあるかどうかは話が別である。人間的価値において上下というものがない以上、人間はみな水平的な結びつきにおいて存在していると言うべきである(過去においてこの国ではそのように考えられていなかった!)。そうであれば、垂直的距離感を表す言葉など、古典の中だけの話にしてしまったほうがよい!

結論:公用語を英語にすべし。(飛躍!)

すべての波形は正弦波の合成によって得ることができるように、すべての事柄は常体による言葉の合成によって表しうるのである!常体で書いた場合に、キーボードとの一体化がより強まっているように感じた。だから、こんなにも無駄なことを書き連ねているのだろう。思考の垂れ流しである。

キーボードの一体化問題としてボクが今まで語ってきたことは身体の拡張、または身体の範囲の問題として深く議論することが可能だと思う。熟練した短槍使いは、あの短槍を身体の一部であるかのように自由自在に操るだろう。このとき、彼女は自分の足を動かすことと、短槍を動かすことに違いを感じているのだろうか?もちろん、動かす部位が違うことは当然であるが、身体の操作という点から見て、同一の感覚を持っている可能性がある。キーボードという道具は10本の指の運びによって操作されるが、このとき「指を動かしてBを押す」という感覚があるのか。キーボードとの「一体化」というメタファーで語られる局面において、ボクはそのような感覚を持たない。「持たない」という表象が何だかわからない動作に直結し、思った通りの結果が気がつくと表示されている。道具は身体に取り込まれる。このことは我々の経験が教える事実である!

さて、news readerのページが無くなったタイミングで、bloglinesを使う頻度が上がってきた。友達のブログもbloglines経由で見るようになってきた。もはや、このサイトのRSSリーダーなど不要だ!次のMTアップグレードがFeeds.appを使わなくなる時に違いない。

MT4にアップグレードしてスパム・フィルターの設定がデフォルトになったせいだろうか、TBスパムがフィルターを超えてやってくる。見つけると掃除するが、またやってくる。今日など、コメントスパムまで・・・。以前、どれくらいに設定していたか忘れたので、とりあえずスパムフィルターのアグレッシブ度を最大にしておいた。TBするときは、そのエントリーへのリンクを含むものでトラックバックするのがマナーだが、マナーを守ればちゃんと表示されると思う。もし、フィルターを超えてまだスパムが来るなら、もう、承認制にしようかな・・・そんな不純なことも考えてしまう。TBやコメントは承認制ではダメだというのがボクの直感である。

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